もうカスなんて言わせない!加須市民が誇る世界一のジャンボこいのぼり!
ライター : こいのぼりん3世
加須市といえば?
皆さんは、加須市と聞いて何が思い浮かびますか?
これまでそうだ埼玉.comには、いくつか加須市やその関連する記事を投稿させてもらっていますが、「加須市?どこそれ?」とか「埼玉にそんな市あったんだ」なんて思うかたも少なくないと思います。
まず1つ言わせて貰うと、加須市は決して“カス”ではありません!
県外の方はともかく、同じ埼玉県民からも可哀想な事に“カゾ”と正しく読んで貰えず、時には「カス市www」なんてバカにされる事も……。
近隣の市には色々あるが…
近隣の行田市にはのぼうの城で有名な忍城やさきたま古墳群、羽生市には海のない埼玉県自慢のさいたま水族館や、もはや世界各国からの参戦までに規模を広げた毎年恒例の大イベント“世界キャラクターさみっと”。
久喜市はらき☆すたで一躍有名になり、初詣客も過去最高を記録した鷲宮神社等があります。
鴻巣市も近年、川幅日本一の称号を得て、川幅うどんや川幅カステラなんていう一品を繰り出して町興しをし、昨年の花火大会にて、新潟県小千谷市での正四尺玉打ち上げ記録を更新した事によるギネス登録認定も受けたりと、今乗りに乗っています。
でも、そんな濃い面子の間に挟まれた加須市にだって他市に引けを取らないものがあります!
今回はそんな加須市が自慢する伝統工芸の1つをご紹介したいと思います。
加須市と言えば日本一のこいのぼり!
加須市では毎年、ゴールデンウィーク後半の5月3日、憲法記念日の日に、市の北部を流れる利根川の河川敷にて「加須市民平和祭」というイベントを開催しています。
このイベントは毎回大勢の観客で賑わっており、周辺の道路が混みあう程の規模を誇っているんですが、一言に市民平和祭と言っても「それって何かの記念日?」と思う方がいらっしゃると思います。
もともとこの5月3日は昭和29年、当時の加須町が周辺の不動岡町・三俣村・礼羽村・大桑村・水深村・樋遣川村・志多見村と合併し、加須町から加須市へと市制施行された日なのです。
これを記念しての行事なのかは判りませんが、恐らくそれがこのイベントの開かれる由来なのかもしれません。
しかし、この市民平和祭は加須市が特に力を入れているイベントで、ただのお祭りではありません。
それは、イベントの開催中に二度ほど巨大な鯉のぼりが空を泳ぐという事です。
近年ではテレ玉だけでなく、NHKも毎年取り上げるようになり、恐らくテレビでその異様な光景を目の当たりにした事のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ジャンボこいのぼりとは?
ジャンボこいのぼりは、全長100メートル、重さが約300キログラム以上にも及ぶ巨大な鯉のぼりです。
数字だけ聞くと、とてもこんな大きなものが……なんて思いますが、これをどうやって空へ泳がせているかというと……
「巨大なクレーンで、釣り上げている」
という訳です。
「何をそこまでして」と思う方も居るでしょう。
しかし、そこまでしてこの巨大な鯉のぼりを遊泳させるのには理由があるのです。
「ジャンボこいのぼりを使って、加須市の鯉のぼりをアピールする!」
加須市は鯉のぼりの生産量が日本一
そんな“鯉のぼりの街”である事を幅広くアピールしようと、1988年に加須市の青年会議所の協力を元に作られたものが「ジャンボこいのぼり」なのです。
ちなみに、このジャンボこいのぼりは驚く事に、全長が世界の中でも一番だそうですが、加須市的にはあまりその事を推そうとはしていないようです。
これまでジャンボこいのぼりは、その世界一の大きさと重量により遊泳に失敗する事が多く、またその遊泳の途中で破損してしまうという事態が起こっており、既に4体も作られています。
現在のジャンボこいのぼりは、歴代の1世~3世に続き4世と名乗り、2010年に騎西町・大利根町・北川辺町と合併して誕生した新たな加須市を象徴として、加須市民の手によって描かれ、完成したものです。
歴代の1世~3世については、Wikipediaに詳しく書かれていますので、ご覧ください。
ちなみに、かつては全長111メートルで、重さが730キログラムもあったそうです。
そもそもこいのぼりが日本一って?
ジャンボこいのぼりが、その鯉のぼり生産量日本一をアピールする為に作られたものだという事はこれで何となくお分かりいただけたと思いますが……
そもそも何故埼玉県の、加須市が鯉のぼりの街になったのかと言うと。
加須のこいのぼりは、明治の初め、提灯や傘の職人が副業として始めたもので、当時はお雛様なども手掛け、季節の際の物を扱うという意味で”際物屋”と呼ばれる店で造っていました。
それがこいのぼりの専門店になったのは、大正12年の関東大震災の後、東京近郊の際物屋が激減し、浅草橋の問屋が加須の際物屋に仕入れに来てその品の良さに感心し、注文が殺到するようになってからだそうです。
第二次世界大戦前には、生産量日本一となりました。(出典:加須市ホームページ)
市のホームページに記載されていたものを用いらせていただきましたが、きっかけは関東大震災なんだそうです。
そういえば、関東大震災がきっかけで埼玉に根付いたものと言えば、他にはさいたま市北区(旧大宮市)にある盆栽村が知られていますね。
ちなみに加須市の鯉のぼりは、今の時代では珍しい手書きによる製法が採られています。
かつては、現在の化学繊維を用いられた製法は存在せず、職人一人一人が丁寧に手書きで仕上げていましたが、時代の移り変わりと共にその数は減ってしまい、今では加須市で100年近く手書きによる製法を続けているのは、老舗の橋本弥喜智商店のご主人のみとなってしまいました。
加須市の鯉のぼりが有名になった理由
現在のご主人も、同じく手書きによる製法は採算が合わず、最後に精一杯のものを作って身を引こうと思い、形の良いものと考えていた時に、どこからか取材が来た事がきっかけだそうです。
その取材を期に、加須市の手書き鯉のぼりが全国に知れ渡って、ぜひともそれを欲しいといった注文が増えたのだとか。
ちなみに、その手書きの製法とは……
加須の手書きこいのぼりは、金や銀の色を使った豪華絢爛な色彩で、描いては乾かし、描いては乾かしを繰り返すのが特徴です。
木綿と顔料だけを使って、職人さんが刷毛で一筆一筆に精根込めて描いていくもので、12の色彩を縦横に使い、18もの工程を費やします。(出典:加須市ホームページ)
といった、とにかく丁寧に丁寧に仕上げていく方法で、完成した鯉のぼりはまるで生きているかのように勢いがあるんだそうです。
まさに、職人の手の込んだ逸品と言えますね!
以上が、加須市が誇る日本一のジャンボこいのぼりについてです。
現在の4世は新たな加須市の誕生を受けて、製作には市民も加わり、一丸となって作り上げたものとあって……
少々引け目に感じている、加須市民としても胸を張って自慢できるものじゃないでしょうか。
そんなジャンボこいのぼりの遊泳は、毎回午前と午後の2回行われています。
ただ、天候やその時の風の強さによって空高く掲げられるかどうかが掛かっていて、現在でも遊泳に失敗してしまう事が多々あります。
ある意味このイベントの観客は巨大な鯉のぼりが空を泳ぐ姿を観るよりも、遊泳成功を祈るかたが多いような気がします。
でも無事に遊泳に成功した時、その美しく、雄々しい姿が観客の目を惹き付ける事は間違いありません。
もし、この記事を見て興味を持った方、もしくはゴールデンウィーク中あまり遠くには行けないな、とか、暇だなという方は是非とも加須市の市民平和祭にお越しいただけたら幸いです。
開催日時 : 5月3日(祝日:憲法記念日) 10時~15時
※雨天の場合は翌日順延
開催場所 : 利根川河川敷緑地公園(加須市大越地先)
イベント当日にはその他に、模擬店やマルシェ、こども広場や熱気球なども出しています。
ご家庭の方々は、お子様連れで来るのがお勧めです。
与野駅は浦和区、ふじみ野駅は富士見市、新古河駅は埼玉県にある