埼玉県蕨市「アイスリボン」の挑戦(中)
そうだ埼玉.com公式ライター:宮本ノウル
最初は6坪の道場「あんなのプロレスじゃない」と陰口も
最初は道場もリングもなかった。
リングを設置できるような会場を借りる事も出来なかった。
2006年の旗揚げ戦は、学芸大学前にある小劇場「千本桜ホール」。低反発マットをステージに敷いて、コーナーには赤と青のビニールテープを巻いた脚立を置いた。そんなスタートだった。
安い会場で、経費をかけずに、お客さんも手軽な料金で観戦出来る。実際に資金も無かったが、新人ばかりの団体が選手を育成する為には試合数を増やすのが一番だった。
その年の末には、市ヶ谷駅近くの診療所の使っていない5~6坪のスペースを借りて道場にして、そこを「市谷アイスボックス」と名付け、「世界一小さなプロレス会場」を謳った。
40人も入れば満員だったが、多いときは最前列の観客の足をマットに乗せ70人入れた。診療所に続く通路の窓の外から観戦する客もいた。
リングもない場所で、マットで試合をしていて「あんなのはプロレスじゃない」と、多くの人から陰口を言われた。しかし、噂を聞き、海外メディアも「世界一小さいプロレス会場」の取材に来るなど、観客も増えた。
やがて埼玉県蕨市に
やがて外の会場を借りてリングを設置した大会も行うようになり、2009年1月に、リングを常設した道場兼常設会場「レッスル武闘館」を蕨市に設立。
その年にプロレス&格闘技の聖地「後楽園ホール」に進出し、1000人を越える観客を集めた。
首都圏だけでなく地方興行も行うようになった。
大阪、愛知、北海道、長野、茨城、宮城、広島、岐阜、福岡… 採算が合わないこともあった。それでもアイスリボンを見たいというファンの応えようと思った。インターネットの動画配信を使っての無料中継なども行い、会場に来られない人や、日本以外にも配信した。
東日本大震災直後には「被災地キャラバン」という形で、リングを設置しなくても試合が出来る、マットを持ってどこでも試合が行えるアイスリボンの強みを発揮し、避難所の体育館にマットを敷きプロレスをおこなった。
娯楽が無い避難所生活をしていた小さな子どもからご老人まで、みんな手を叩いて喜び、来てくれた事に涙し感謝してくれた。
設立から10年。すべてが順風満帆だった訳ではない。
プロレス、アイスリボンそのものへの偏見、大きな企業からの支援があるわけでもなく苦しい資金繰り、そして厳しい練習。退団者も数多くいた。人気選手離脱もあった。
10年前の旗揚げメンバーは1人も残っていない。
10年目の到達点「ブンタイ」
彼女たちは今、「ブンタイ」の扉の前にいる。
誰かが通った道かも知れない。でも彼女たちにとっては、そのすべてが未踏だった。ここに辿り着くまで。
ブンタイ。横浜文化体育館。略して「文体」。
名のあるプロレス団体はみな、この文体でビッグマッチを打ってきた。
文体での興行は、団体のステータスに直結し、そのリングに上がった選手のプライドになる。
2016年5月4日、彼女たちは横浜文化体育館のリングに上がる。
それは、路上から始めたミュージシャンが、小さなライブハウスを経て、地域の市民会館や文化センターでのコンサート経験し、ツアーを回り、遂には武道館に辿り着く、それに近い。
選手代表の藤本つかさ(2008年デビュー)は「横浜文体での大会開催を聞いた時は衝撃的だった」と言う。
文体のキャパ(客席数)は3000。彼女は、観客が30人しかいなかった時代を知っている。
「(5月4日は)アイスリボンのみんなにとって、一つの到達点だったり、通過点だったりする節目の大会。アイスリボンの過去現在未来がいっぱい詰まった大会になる」と彼女は自分自身を鼓舞する。
髪が抜け落ちる夢を見た。後輩たちの前では決して弱味は見せないが、期待と不安が、彼女の心を交互に支配する。どちらかと言えば、不安が優勢だ。
彼女は団体運営会社の取締役でもある。
選手として、エースとして、試合の結果はもちろんではあるが、興行を主催する責任者の一人としても、文体の壁に向き合っている。
チケットが何枚売れているのか。本当に客席が埋まるのか。お客さんたちが喜んでくれるのか。
その笑顔の奥では、常に不安と必死に戦っている。
扉の向こうに
アイスリボンは、この大会を「10年目の到達点」と銘打った。
団体代表である佐藤肇は「今は次のことは考えられない」と言う。選手も運営も総力戦だ。考えられること、出来ることを全てやる。
大会開催発表から1年。
選手も、運営も、レフェリーやリングアナも、そしてアイスリボンを支えてきたファン達も、アイスリボンの文体を、沢山の人に見てもらおうと邁進し、皆で横浜文体の扉の前に立っている。
「プロレスでハッピー」。
アイスリボンのキャッチコピーである。
5月4日。文体の扉を開けて中に入った時、そして大会を終えてその扉から出てきた時に、選手もスタッフも、そして観客もハッピーな気持ちでいられる事を目指して。(続く)
ホテルメトロポリタンエドモントでの記者会見のあとの一枚
そうだ埼玉.com公式ライター : 宮本ノウル
某グルメサイトの大宮地区1位の経歴を活かし、埼玉のB級グルメ情報、お役立ち情報を中心に執筆する、不惑の会社員。
埼玉県さいたま市在住
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