40代以上の埼玉県民が知らない埼玉の新常識
編集長 : 鷺谷政明
40代以上の埼玉県民が知らないもの。
40代以下の埼玉県民なら知っているもの。
探せばたくさんありそうですが、『旅立ちの日に』という歌を知らないあなたは、おそらく40代オーバー。
『旅立ちの日に』とは
この歌は1991年に誕生した歌で、今や卒業ソングの定番となっています。
特に2000年代以降に広まり、決定的だったのは、2007年のNTT東日本のCMで、SMAPが歌ったこと。
なので、この辺の時代に卒業式を通過している人には、馴染みの曲なんです。
この歌はなんと、秩父発祥。
『旅立ちの日に』誕生秘話
名曲誕生の経緯を簡単にまとめると、当時荒れていた秩父市立影森中学校の小嶋登校長が、学校を矯正するための施策として、「歌声の響く学校」という指針を打ち出しました。
合唱の機会を増やす。
みんなで歌おうじゃないか。
合奏とかダセー。
生徒たちからは抵抗されるも、音楽科教諭の坂本浩美先生と共に粘り強く努力を続けたことで、学校は本当に明るくなった。
「歌声の響く学校」を掲げてから3年目の1991年2月下旬、坂本先生は「歌声の響く学校」の集大成として、「卒業する生徒たちのために何か記念になる世界にひとつしかないものを残したい」との思いから、卒業生へ向けたオリジナルソング企画を構想。
作詞を、小嶋校長に依頼します。
「私にはそんなセンスはないから」
と断るも、翌日には坂本先生のデスクに書き上げられた詞が置かれていました。
坂本先生はその詞を見て感動し、すぐに授業の空き時間に音楽室にこもり、楽曲制作に取り組むと、旋律が湧き出るように思い浮かび、なんと15分程度で完成してしまったそうです。
猪突猛進のインスピレーションはあらゆる邪念を打ち消す。
時間をかけると現実と理屈に負ける。
出来上がった曲は、「3年生を送る会」で教職員たちからサプライズで卒業生に向けて歌われ、この年度をもって小嶋校長は、41年に及ぶ教師生活の定年を迎えて退職しました。
広がりを見せた名曲
出典 :TBS NEWS DIG
元々はこの1度きりのために作られた歌でしたが、翌年も生徒たちが歌い、次第に近隣の小中学校でも歌われるようになっていきます。
まるでモンゴル800やハイスタを彷彿させる、ノンプロモーション自然発生ムーブメント。
当時東京都の中学校で音楽教諭を務めていた作曲家の松井孝夫さんは、この曲を混声三部合唱に編曲を行い、それが音楽之友社の雑誌『教育音楽』に取り上げられて、1998年頃までに、全国の学校で拡散されました。
以降はテレビなどでも取り上げられ、2007年にSMAPが出演するCMソングに起用され爆発。
『仰げば尊し』『巣立ちの歌』『贈る言葉』なども抜き去り、『旅立ちの日に』は、全国で最も広く歌われる卒業式の歌となっていきました。
下地は童謡や唱歌的なものですが、どこかJ-POPの香りがあって、当時の若者にも馴染みやすかったのだと思います。
このストーリーをいつか映像化に
なんともドラマチックなこの誕生経緯を見ていると、いつか若き埼玉の映像作家や監督に、「旅立ちの日に誕生物語」を映画にしてほしくなりますね。
先生の名前が「坂本」というのが、すでにフラグのような気さえしてくる。
なので校長先生役は武田鉄矢さんだと面白い。
制作は『翔んで埼玉』チームが手掛けるとさらに面白い。埼玉を散々ネタにしてきたチームが、今度は埼玉の感動の実話を映画化と。
※本記事は、2024年3月15日に配信の「そうだ埼玉メルマガ -40代以上の埼玉県民が知らない埼玉の常識-」を一部加筆修正したものです
埼玉ポーズを作ったクリエイティブ・ディレクター / SNS総フォロワー12万人 / 小説『ブルーハーツを聴かずに親父は死んだ』web連載中