「ダサイ」から「翔んで」へ…埼玉イメージの変遷をたどる
ライター : シオ・コージ
はじめまして。埼玉県東部在住ライター、シオ・コージです。
埼玉をディスったコミック『翔んで埼玉』(魔夜峰央作)が復刻されて話題となり、このたび映画化が決定、来年2月に公開とのこと。
埼玉県民として、最近では一番の驚きのニュースです。
「埼玉県はいまだに通行手形が必要」
とか、やや非現実的な設定なので、あまり県民のコンプレックスを刺激しなかったのも、リバイバルヒットの原因でもあるでしょう。
埼玉はもはやディスるだけの場所ではない、自虐はむしろプライドの裏返しかもしれません。
はたしてこの流れ、喜んでいいのか恥じるべきなのか……。
今日は埼玉県民の日。改めて、埼玉にまつわるイメージがどう移り変わってきたか、記憶をたよりに記してみます。
1970年代 ドーナツ化現象
家の引っ越しにともない、僕が埼玉県民となったのが1970年代後半。
当時首都圏では、いわゆる「ドーナツ化現象」が進んでいました。
それまで都心に住んでいたサラリーマンが周辺の郊外に家を建てて移住し、都心の空洞化と同時に、郊外の人口が増加していったのです。
埼玉県のベッドタウン化はこの時代に始まりました。
郊外の自宅から長時間かけて、都心の会社へ通う、「埼玉都民」の発生です。
1980年代「ダサイタマ」の定着
「ださい」は、「だって埼玉だから……」の略だとか、タモリ氏が「ダサイタマ」と命名したとか、この時期、埼玉県民は迫害の渦中にありました。
さいたまんぞう氏が歌った「なぜか埼玉」という曲も「ダサイタマ」をあと押ししたと言われています。
【動画】これが1割タレント 9割審判の底力!【さいたまんぞう / そうだ埼玉撮影】より
ちなみに、さいたまんぞう氏はいまも活躍中だそうで、何よりです。
2014年09月19日
【動画】埼玉県民みんなが踊った!そうだ埼玉完成披露試写会!これが踊る埼玉県民!!
都心から越してきた埼玉県民には、かつての都会ぐらしと現在を比較して「たしかに言われてもしょうがないよなあ」というのはあったでしょう。
また「オレたちは都会モンだからさ」と余裕のポーズを見せるところも、ダさいたまの広がり&定着を阻止できなかった要因ではないかと考えられます。
1990年代 大宮ナンパ族、勃興
東京がバブルで盛り上がっていた陰で、地方の小都市でもひっそりと、バブリーな空気にあやかろうという動きがありました。
旧大宮市の大宮駅前に多くいた「ナンパ族」。駅前広場にヤンキー仕様のイカすクルマをこれ見よがしに陳列し「ねェ彼女~、オレのクルマに乗ってかない?」と声をかける一族です。
当初、あきらかに彼らは白い目で見られていました。「東京に遊びに行きたくても行けない可哀そうなひとたち」と思われていたのです。
しかし、東京周縁の盛り場がしだいにミニ東京化するにつれ、彼らの存在もしだいにポジティブなものとなっていきました。
ナンパ族は「地方の時代」を先どりする存在だったのではないかという気もします。
いまでは「ナンパ族」という呼称こそ死滅しましたが、行動様式はそのまま「マイルドヤンキー」なる種族に受け継がれているようです。
2000年代 平成の市町村大合併
この時期、日本各地で地方自治体の合併が相次ぎました。
埼玉でも浦和、大宮、与野、岩槻の4市が「さいたま市」となったのをはじめ、県内でいくつもの市町村が統合・併合され、その陰で消えていった地名も少なからずありました。
僕が現在住んでいる春日部市の東半分一帯も、もとは「北葛飾郡庄和町」で、合併とともにその町名も消え去りました。
地名とともに消えていった、あるいは「奪われて」いった地元古来の名物もまた多かったでしょう。
2010年代「郷土愛の低さ」で栄光の第1位
埼玉都民は地元のことには関心が薄く、家には寝るために帰ってくるだけ――まさに「ベッドタウン」。
彼らの意識が表面化されたのが、「都道府県出身者による郷土愛ランキング」(ブランド総合研究所)において、埼玉県が見事最下位を獲得したという調査結果でした。
これはなんとかしなければならないと考えた自治体関係者は多かったでしょう。
郷土愛の低さは、いま盛んにささやかれている「地方消滅」にもつながりかねない……
ゆるキャラブームや、本サイト『そうだ埼玉.com』をはじめとする地域メディアの流行も、そんな危機意識からきているのかもしれません。
ディスりケーション
これらはあくまで、1970年代によそからこの地に移ってきた僕のような「オールド県民」が抱いている印象かもしれません。
いまは当時と較べ、さまざまな意味で暮らしやすさが格段にUPしました。埼玉に生まれ育った若い世代は、オールド県民のようなコンプレックスもないでしょう。
『翔んで埼玉』映画化は「ダさいたま」がシャレで笑えるようになった証しとも言えるかもしれません。
出典 : 映画『翔んで埼玉』公式サイト
コミュニケーションが不能な状態をディスコミュニケーションと呼びます。
ディスコミュニケーションには、あからさまな無関心や無視、黙殺の場合もありますが、一番厄介なのは、表面上は親しいふりで社交辞令をかわしながら、けして心を通わせない、そんなディスコミュニケーションです。
スマートに人づきあいをこなすものの、けして相手の内面には触れようとしない都会人。
表向きはフレンドリーなだけに始末が悪い。
けれど埼玉県民は違う。
ズケズケ本音で相手の弱みをディスり、ディスられ、たがいの距離をちぢめて相手のふところに入りこむ。
多少のディスりは日常のあいさつがわりのようなもの。
「ディスり」がコミュニケーション、つまりディスりケーション。
埼玉県の全63市町村レビューを収録した、生粋の埼玉県民、鷺谷政明さんの書籍にも、コミュニケーションへの渇望が隠れている。
深く相手を理解したいという真摯な欲求が存在する。
『なぜ埼玉県民だけがディスられても平気なのか?』
この謎が解ければ、新たな人生へと一歩踏み出せるだろう。
本書を手にする方々、とくに埼玉県民たちは勇気をもってディスりを受け止めてほしい。
そのディスりは、生まれ変わるために必要な痛みなのだから。
ディスコミュニケーションよりはディスりケーションを!
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サイタマの片隅に生えた雑草ライター。県東部の地域フリーペーパーを中心に執筆。得意ジャンルは本、映画、音楽などですが、書く場所がなくてもっぱら個人ブログで発表。春日部市在住。