タモリさんが名づけた“ださいたま”は秀逸だった【そうだ埼玉メルマガ】
「ださいたま」と命名したのはタモリさん
全国的にもっとも有名な埼玉ワード、それが「ださいたま」です。
この言葉の発祥は、タモリさんという説が有力です。
—以下wikipediaより抜粋—
タモリが埼玉に関心を持ったのは、1981年(昭和56年)2月に放送された、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『タモリのオールナイトニッポン』の「思想のない歌」コーナーの中でさいたまんぞうの『なぜか埼玉』というコミックソングを取り上げた時からといわれている。その後、当時の若者の間で流行していた竹の子族という風俗の愛好者に埼玉県や千葉県出身者が多いことが調査結果により明らかになると、タモリはこうした若者達を「ダサい」と評するようになり、1982年(昭和57年)10月4日からフジテレビ系列で放送開始された『森田一義アワー 笑っていいとも!』の中で「ださいたま」という言葉を頻繁に使用し、当時の流行語となった。埼玉県では問題を深刻に捉え、県発行の広報誌において問題をテーマにした紙上討論会を掲載し、埼玉県庁内にイメージアップのための調査研究グループを設立した。こうした埼玉県の動向を知ったタモリは更に関心を持ち、愛知県出身者の使用する名古屋弁と共に埼玉県を笑いの対象と見做して自身の出演する番組内で揶揄した。
1980年代において「ださいたま」という言葉は全国に波及したが、埼玉県を揶揄する風潮は2000年代頃まで続き、県内の独自性や著名な人物の存在などといった特性を無視した否定的な評価を受ける機会が多かったと言われる。
Wikipediaの情報が必ずしも正確ではないということはみなさんもご存知だと思いますが、以前さいたまんぞうさんとお会いした時に、タモリさんの番組で自分の曲が取り上げられ、後にタモリさんのラジオ番組に出演したとお話されていましたし、1980年代初頭のタモリさんはかなりの毒舌家だったそうですから、ありえそうな話しではあります。
「ださいたま」と命名したタモリさんのセンスは秀逸だった
笑いは、本気と冗談(洒落)のバランスがよく取れていると起こります。なぜなら、人は共感した時に笑うからです。
ださいたまというワードがこれだけ普及し、30年以上も経つ今なお全国的に知れ渡っているのは「埼玉=ださいたま」という認識(共感)があったからです。
まるでお門違いのネーミングだったら浸透しないし、後にお笑いBIG3となるタモリさんがそんな的はずれな形容をするわけもなく、非常に的確で見事な形容だったということになります。
あくまで先述したwikiの情報ソースからのみですが、もし本当に県庁内にイメージアップのための調査研究グループなどを設立したのであれば、それは少し方法が違う。
もちろん、イメージアップに務めるのも大事な公務だと思いますし、少しでもイメージ脱却を図ろうとする行為は素晴らしいことだと思います。
しかし、自分たちの理想通りのイメージで浸透、認識させるというのは容易なことではありません。
例えばあなたがどこかの会社に入社し、制作部希望だったとします。でも評価されたのは営業でした。だから営業部で頑張って欲しいと会社からは言われました。会社は営業をするあなたに価値を見出しています。でもあなたがやりたいのは制作です。
あなたは俳優をやりたかったとします。しかしアイドルとしてヒットしました。だからアイドルを続けて欲しいと事務所に言われました。世間はアイドルのあなたに価値を見出しています。でもあなたがやりたいのは俳優です。
つまり、自分がやりたいことと、周りの評価が一致することはそうありません。
「ユニクロの服は部屋着にはいいけど、外着にはしないよね」と言われ続けてファーストリテイリング(ユニクロ)は世界のトップ企業にまで上り詰め、今では外着として利用する人もいます。
もしユニクロが、「外着にも使ってよ!」的な施策で消費者にアプローチを続けていたら、きっと今のような普及の仕方はしていなかったはずです。
以前、ファーストリテイリングの柳井社長は「部屋着に使おうが、外着に使おうが、それは消費者の自由」とお話されていました。
そう、最終的に判断するのは消費者であり、つまり県民です。
郷土愛の押し売りは犬も喰わない
ださいたまというワードは時代の空気が生み出した側面があったからこそここまで浸透したわけで、そのイメージ、つまり需要を一度飲み込む必要がありました。
例えば、埼玉県がトマトを売り出したいと思っていたとします。
その時に、「スイカが食べたい!」と言ってる人に、トマトを売り出したいからと言って、トマトを出してもしょうがない。なので、スイカが食べたいのならまずはスイカを出してあげて、例えばその時に絶品の塩を振りかけてあげる。
この塩でスイカを食べると、そのスイカがよりおいしくなるんだよ、と。どう?おいしいでしょう?そこで、この塩をかけたトマトもあるんだけど、これもどう?と薦められれば、もしかしたら人は試しにそのトマトも食べてくれるかもしれません。
スイカが食べたいと言ってきている人に、スイカは与えず、見せもせず、スイカなんかよりトマト食べてよ!ほら!おいしいから!と勧められれば、「いや、俺はスイカが食べたくて来たんだけど…」と人は不快な思いを抱いてしまいます。
ださいたまを否定するのではなく、活用する
もちろん、ダサイというネガティヴな言葉を全面的に受け入れて開き直ることもありませんが、世間のイメージ(需要)を全面的に否定し跳ねつけるのではなく、少しでも受け入れて、求められているださいたま(スイカ)に少しは乗っかって(供給)あげる。
その上でそこに何か(塩)を加えて、埼玉をアピールする何か(トマト)を売り出していく。
そっちのほうが、ださいたまというイメージを一度完全に払拭し、人々の印象をリセットさせ、一から新しい何かを浸透させるよりも、よっぽど効率的で自然な方法です。
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埼玉ポーズを作ったクリエイティブ・ディレクター / SNS総フォロワー12万人 / 小説『ブルーハーツを聴かずに親父は死んだ』web連載中