銭湯の男・女風呂で同時に起きたあること【そうだ埼玉メルマガ】
銭湯の男・女風呂で同時に起きたあること
このメルマガではたまに話しに出しますが、私はよくスーパー銭湯に行くんですね。
埼玉はスーパー銭湯が実に多く、どこもなかなか快適です。
先日も、疲れを癒やしに一人スーパー銭湯に行ったのですが、炭酸風呂って知ってますか?
血行がものすごい良くなるあれ、最近色んな銭湯が取り入れてますよね。
炭酸風呂は低温で長く浸かりやすいので、たいていどこもTVを設置していることが多いんです。
私が行ったそこは露天風呂コーナーの中に炭酸風呂があって、そこの壁にTVが取り付けられていました。
とんねるずの全落オープン
その時は「とんねるずのみなさんのおかげでした」の特番で、全落オープンの企画をやっていました。
ドッキリでいきなりどこかに落とされるというあれ。
笑いを堪えることっていうのは本当に至難の技で、一人で行ったのにも関わらず「あはは」と声を出して笑ってしまうんですね。
平日だったこともあり、回りの兄ちゃん、おじさん達もたいていみんな一人で来ていましたが、炭酸風呂にいる全員が笑うんです。
男湯に女性の声
その日番組はめちゃイケチームが次々と穴に落とされていく回でしたが、鈴木紗理奈さんが落とされた時、私の後方から女性の笑い声が聞こえたんです。
男風呂にいて女性の声が聞こえるっていうのは一瞬ドキッとしますよね。
後ろを振り返ると、少し離れたところから見てる男たちがいて、みんなも遠くからテレビを見て笑っていましたが、当然、女性はいません。
あの兄ちゃん達の声が高くて女の声に聞こえたのかな、と思い、またテレビを見ていました。
次に、加藤浩次さんが落とされるわけですが、加藤浩次さんの落とされ方は凝った演出で、座った椅子がいきなり高速で動き出し壁を突き破って池に落とされるというものでした。
それが行われた時は、もう至る所から笑い声が聞こえてきて、今度は女性の笑い声もはっきりと認識することが出来ました。
男湯で聞こえた女性の声の正体
女性の声は後方からではなく、奥、つまり隣でした。
そこの露天スペースはセンターを中心に壁一枚で隔てていて、対照的な作りになっているんだと思います。
テレビモニターが男風呂女風呂共に背中合わせて設置されているようなイメージ。
どう反響して後ろから聞こえた気がしたのかは分かりませんが、よく聞くと奥、壁の向こうから聞こえてきていたものでした。
その壁は上が少しスペースが空いているんですよね。
おばさんから若い女性から、子供のような声まで、加藤浩次さんが池に落とされた瞬間「わははは!」と露天風呂一帯が笑い声に包まれるんです。
映画「三丁目の夕日」ほどレトロな空間ではありませんが、まさにあんなような一体感が平日の夜、埼玉のある風呂屋で生まれていました。
お笑いが持つ力
ただそこにテレビがあって、ただ流れていて、ただ勝手に見た人が、勝手に1つになってしまう。
お笑いが持つ力というのは、他の何よりも強い力を持っています。
爆笑問題の太田さんは、
「お笑いっていじめそのものだと思う。でも人をバカにして笑ったことがない人もいないはずで、人がずっこけるのは無条件に面白い。そこにはサディスティックな快感と同時に、ある種の“共感”がある。つまり、人が死ぬ原因になるものと、人が生きる糧になるものは同じ場所にある」
と、以前ある番組で語っていました。
人が死ぬ原因になるものを排除していくということは、同時に、人が生きる糧になるものも排除しているということを知っておく必要があります。
広告やプロモーションにしても、人を楽しませる、惹きつける、振り向かせることが最も大事な仕事です。
イベントごとにおいても一体感を作るという作業はとても大事なことだし、とても難しいことです。
「人が落ちてるところを見て笑うなんて、いじめを助長するし不謹慎だ」という声があったとして、その番組を全部止めていたら、お風呂屋が一体感に包まれる程笑い声に包まれることはありません。
辛くて辛くて仕方がない、もう死んでしまいたいと思ったことなんて誰でもあると思いますし、同時に、熱湯に落ちて「あちー!」と騒いでる芸人さんを見て、一瞬でもその辛い瞬間から救われた人も山ほどいると思います。
エンターテイメントとは
埼玉県東越谷小学校では、生徒たちによる漫才大会が実施されます。
2015年07月06日
ちょっと待って!ちょっと待って!小学生?東越谷小学校でよしもと協力による漫才大会実施!
漫画家の浦沢直樹さんは、
「僕は漫画を芸術だと思っている。 だけど、世の中的に芸術扱いされたくはない。世の中から芸術扱いされると、なんかお高いところにまつり上げられるだけで、そこにおいしいことはない。世の中としては相変わらず、“たかが漫画”って言ってもらってるほうがいい」
とある番組でお話されていました。
お笑いも同じで、「たかが漫才」「たかが芸人」が、もしかしたら本来あるべき立ち位置なのかもしれません。
で、勝手に子供は漫画やテレビを見て、大人がやるなと言ってもそれを取り入れて自分たちになりに遊んでいたんです。
そしてそこから様々なことを勝手に学んで生きてきました。
でも今は、それさえも出来なくなってしまいました。
「不謹慎」「不健全」の名のものとに、本来人が生きていく糧となるものを次々と大人が取り上げてしまい、世にリリースされるものは厳しく規制された窮屈なものばかり。
やがて時代は暗くなり、クレーマーやモンスターペアレントを量産、いじめは陰湿化を極め、コミュニケーション不足になり、程度も加減も分からなくなってしまう。
そうなってくると、もう教育現場の中に強引にエンターテイメントを取り込むしかないという逆転現象が起きている象徴だと思います、越谷市の小学校の漫才大会は。
体育祭に関しても、危険だから棒倒しはやめよう、これもやめよう、あれもやめようといった現代の教育現場の慣習に比べれば、とってもいい施策だと私は思いました。
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埼玉ポーズを作ったクリエイティブ・ディレクター / SNS総フォロワー12万人 / 小説『ブルーハーツを聴かずに親父は死んだ』web連載中